
ヤマトタケルが蝦夷征伐に赴いた時、駿河国でだまし討ちに遭い、その時に草薙剣で草を薙ぎ払って難を逃れたという伝承が残されています。
その地を「草薙」と呼び、賊を焼き払った野原を「焼津」と呼んだといわれています。
律令制で中央集権国家が形成されるに従って、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編されました。
戦国時代になり、今川義元が織田信長に桶狭間で敗れると、徳川家康が独立し浜松に転入しました。
本能寺の変後、徳川家康は版図を拡大し駿河国、遠江国、三河国に加えて甲斐国と信濃国を攻略し、5国を支配しました。
伊豆国、駿河国、遠江国の3国が1876年に行われた県の合併によって、現在の静岡県となりました。
19世紀末に東海道本線が開通すると、浜松には綿織物工場や楽器工場が多く立地するようになりました。
そして東名高速道路や東海道新幹線の開通により、首都圏と中部、関西地方を結ぶ重要な大動脈となりました。